大胆な対談・第一部「小学館ビル地下一階喫茶ジャパンで林氏はかく語りき」

(ま)それでは始めましょうか。
(辰)ウム。
(ま)なんだかのっけから偉そうですね。
(辰)そりゃそうじゃろ、ワシは漫画家デビュー30年、オヌシはフリーソフト作者デビュー2年だろ? 
(ま)えっ、ということは漫画家おだ辰夫 は、もう還暦くらいで?
(辰)ばかも〜ん!高校生の時(たしか1969年、高ニだったと思うけどずいぶん昔だねぇ)にとりあえずデビューしたんだからまだ若いんだよ!
(ま)デビューはどこなんですか?
(辰)週刊少年ジャンプじゃ。たしか「フクメンくん」というタイトルでなぁ、ある日覆面レスラーのように顔を隠した転校生が小学校にやってくるという16ページ読みきりだよ。まっ、あの頃はジャンプも後発で月2回刊から週刊になったばかりで描き手が少なかったんだろなぁ、新人賞に応募したら入賞して掲載されたんだよ。
(ま)う〜ん、歴史的秘話ですね。
(辰)うむ、32年前の事だからな。(ほんとは29年前みたい)
(ま)えっ、30年前なんでは?
(辰)ばかも〜ん!秘話32というだろが〜〜〜!
(ま)も、もしかして四八三十二のだじゃれ・・・で、ジャンプにはその後も?
(辰)いや、あの「友情、努力、勝利」を前面に出す編集方針に興味が持てず専属料だけもらってほとんど作品は発表していないのだ。
(ま)と、いいますと?
(辰)うむ、専属は一年だけだったからその間好きな作品を描きだめしていたのじゃ。そうそう、数少ない発表した作品では、「どきゅめんたりい足」というのが記憶にあるぞなもし。
(ま)あるぞなもしって貴方は坊ちゃんですか?
(辰)いや24ページの読みきりなんだがいきなり見開きで主題歌の楽譜が書いてあってな、作詞はワシで作曲は級友の池岡君が担当したんだよ。  
(ま)誰ですか?その人は。
(辰)いやその、今は教員をやっておってな今でもE-Mailでやりとりしておる。で、作品の内容だが巨大化した足を持った少年がどーたらこーたらで、最後には足がちょんぎれるんだったかな。
(ま)だったかな、って覚えてないんですか?
(辰)うむ、なんせ昔のことでのぉ・・・・・・
(ま)もしも〜し起きてますか〜!
(辰)いや、失敬。歳をとると時々フリーズするんだよ。
(ま)なに言ってンですか。話を進めましょ。
(辰)うむ、さっき食べたのは・・・
(ま)そんなこと聞いてませんよ。それでその後は?
(辰)まぁ、そんなこんなで他誌からも声がかかるようになってなぁ。具体的には週刊少年サンデーだけどね。いきなり連載は無理だから、小さい仕事をね。
(ま)たとえば、どんな?
(辰)ページの上の1センチくらいの余白スペースに横長の1コマや4コマの漫画を描いてたんだよ。同じ頃には吾妻ひでおさんなんかも描いてたような気が。これを毎週何十本も描くのだが週によっては採用数が増減するんだよ。
(ま)内容の優劣で?
(辰)いや、週によってはタチキリが多い漫画ばかりだと空きスペースが出なくて必然的に場所がないと。
(ま)わははははははははははははははははは、すごいですね。
(辰)気がすんだか?
(ま)あっ、これは失礼しました。でも意外と簡単に漫画家ってなれるんですね。
(辰)うむ。才能と人との出合いのタイミングかな。
(ま)といいますと?
(辰)当時少年サンデー編集部の故・林洋一郎氏との出会いだな。ワシの場合アシスタント経験もないので漫画界に知人が少ないのだが本当に林さんにはお世話になり感謝しているのだよ。今でもよく覚えてるのだが小学館地下にあったジャパンという喫茶店で会ったときのことだよ。林さんがワシに「コーヒーか?紅茶か?」と聞いてきたので「どちらでもいいです。」と10代のワシは言ったのだ。そうしたら林さんが「これから漫画界で生きていくのならそんなことではだめだ!自分の意志を持て!」と言われてなぁ。
(ま)なんか中小企業で成功した親父が語る立身出世伝みたいになってきましたね。
(辰)ああ、しゃべりすぎてノドが乾いた。
(ま)何か飲み物を、紅茶かコーヒーでも。
(辰)ココア!
(ま)ちょっと休憩しましょうか。


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